プロローグ
まさ・けし治療院には、さまざまな方が来院されます。
肩や腰の痛みを抱えている方。
病院では「様子を見ましょう」と言われたけれど、不安が消えない方。
仕事や家事、子育てを頑張りながら、自分のことを後回しにしてきた方。
そうした方々と向き合う中で、私はよく思います。もし私が、これまでの人生で「できない自分」や「不安な気持ち」を経験していなかったら、今の仕事の向き合い方は少し違っていたかもしれない、と。
私は子どもの頃から、運動が得意なタイプではありませんでした。
人前に出ることが苦手な時期もありました。
学校に行けなくなったこともあります。
一方で、家族や先生、友人、先輩、そして多くのご縁に支えられながら、少しずつ前へ進んできました。
強くなりたい。
誰かの力になれる人になりたい。
そんな想いを抱えながら歩いてきた道のりが、今の私の施術につながっています。
このページでは、整体師になるまでの出来事だけではなく、私が何を感じ、何に悩み、どんな人たちに支えられてきたのかをお伝えしたいと思います。
もしお時間がありましたら、少しだけお付き合いください。
あなたが今抱えている悩みや不安と、どこか重なる部分があるかもしれません。

第 1 章『強くなりたかった少年』
私は埼玉県浦和市(現在のさいたま市緑区)で育ちました。
家の近くには田んぼや川があり、友達や近所のお兄さんたちと日が暮れるまで遊ぶような、ごく普通の子どもでした。
ただ、一つだけ普通ではなかったかもしれないことがあります。
それは、とにかく運動が苦手だったことです。
小学校の体育はあまり好きではありませんでした。
逆上がりはできない。
跳び箱も苦手。
走るのも遅い。
サッカーや野球をして遊ぶことは好きでしたが、チーム分けになると最後まで選ばれずに残ることも珍しくありませんでした。今思えば、それほど大きなことではないのかもしれません。けれど子どもにとっては「自分はできない側なんだ」と感じるには十分な出来事でした。
私は身長も低く、喧嘩も強い方ではありませんでした。
何でも器用にこなせる友達がうらやましく見えたこともあります。
一方で、今振り返ると私は本当に家族に恵まれていたと思います。
母は体調を崩した私を自転車の後ろに乗せ、病院まで連れて行ってくれました。
当時の私は、それを特別なことだとは思っていませんでした。
親なら当たり前にしてくれることだと思っていたのです。
けれど大人になった今、同じ坂道を自転車で走るたびに思います。
幼い子どもを乗せて坂を上ることは、決して簡単なことではありません。
そこには親の愛情があり、人を支える優しさがありました。
*
私は運動も得意ではなく、怖がりで、不器用な子どもでした。
けれど同時に、多くの人に守られながら育っていたのだと思います。
子どもの頃、ヒーローショーを見に行くと、悪役が出ている間は怖くて後ろの方に隠れていました。
けれど、ヒーローが登場すると一気に前へ飛び出して夢中で見ていました。
怖がりなのに、強さに憧れていたのです。
そんな私の人生を大きく変えた出来事がありました。
小学校三年生の頃、近所のお兄さんの家で観たジャッキー・チェンの映画『酔拳』です。
それまで私が憧れていたヒーローは、変身して強くなる存在でした。
けれどジャッキー・チェンは違いました。
生身の人間が転び、失敗し、何度もやられながら、それでも立ち上がり、工夫し、鍛え、少しずつ強くなっていく。
その姿に私は衝撃を受けました。
「人って、こんなふうに強くなれるんだ」
子どもながらにそう思ったことを覚えています。
最初から強い人だけが特別なのではない。
弱くても、できなくても、挑戦し続けることで変われるのかもしれない。
今振り返ると、その時に芽生えた想いは、その後の人生をずっと支えてくれたように思います。
運動が苦手だった私がスポーツジムで働くようになり、人に運動を教えるようになったこと。
人前が苦手だった私が、多くの方と向き合う仕事をしていること。
そして今、整体師として人の身体と向き合っていること。
その始まりには、強くなりたいと願っていた、怖がりで不器用な少年の姿がありました。







第 2 章『世界を広げてくれた出会い』
子どもの頃から映画が好きでした。
きっかけの一つは、父がよく映画館へ連れて行ってくれたことです。
休日に家族で観に行った映画。
父と弟と三人で出かけた夜の映画館。
大きなスクリーンに映し出される世界は、私にとって特別な場所でした。
映画館へ向かう時間。
上映前の予告編。
観終わった後に感じる余韻。
そのすべてが好きでした。
中学生になる頃には「映画を観る」だけではなく「映画の世界をもっと知りたい」という気持ちが強くなっていました。今思えば少し無謀ですが、中学三年生のときには映画配給会社を訪ねて行き「映画の仕事をするにはどうしたらいいですか?」と相談したこともあります。
好きなことに対しては、とことん知りたくなる。
その性格は、この頃から変わっていないのかもしれません。
そして映画への興味は、やがて英語への興味へとつながっていきました。
字幕なしで映画を理解してみたい。
俳優たちが話している言葉を、そのまま聞き取ってみたい。
そんな思いから英語を学び始め、高校卒業後は英語の専門学校へ進学しました。
それまでの学校生活とはまったく違う環境でした。
外国人の先生。
さまざまな年齢や背景を持つクラスメイト。
新しい世界に触れることが純粋に楽しく「もっと学びたい」という気持ちは次第に大きくなっていきました。
*
十九歳のとき、私はアメリカ・ボストンへ留学します。
国内ですら一人旅の経験がほとんどなかった私にとって、知らない国へ一人で飛び込むことは大きな挑戦でした。
不安がなかったわけではありません。
それでも、その頃の私は、不安よりもワクワクする気持ちの方が少しだけ勝っていました。
ボストンでは、毎日が新しい発見の連続でした。
日本とは違う文化。
さまざまな国から集まったクラスメイト。
英語での生活。
最初は慣れないことばかりでしたが、少しずつ自分の世界が広がっていく感覚がありました。
特に印象に残っているのは「芥子さん」ではなく「マサ」と呼ばれるようになったことです。
誰も私のことを知らない場所。
だからこそ、肩書きでも過去でもなく、一人の人間として新しくスタートできるような感覚がありました。
現地ではアパート探しや契約など、日本でも経験したことのないことに挑戦しました。
もちろん失敗もありました。
語学学校では思うように進級できず、クラスを落ちたこともあります。
当時は悔しく、恥ずかしい気持ちもありました。
けれど今振り返ると、そのおかげでボストンで過ごす時間が長くなり、たくさんの人たちと深く関わることができました。
コロンビアやスペインの友人たちとルームシェアをしたこと。
現地の人たちと会話を重ねたこと。
ビリー・ジョエルのコンサートへ行ったこと。
冬から春へ移り変わるボストンの景色を見たこと。
その一つひとつが、自分の人生を豊かにしてくれた大切な経験です。
振り返ると、私の人生は人との縁に恵まれてきた人生だったと思います。
両親、先生、友人、先輩、仲間。
留学先で出会った人たち。
仕事を通じて出会った人たち。
一人で頑張ってきたつもりでも、振り返ればいつも誰かに支えられていました。
そして、その出会いの先には、いつも新しい世界がありました。
映画との出会いが英語へ。
英語との出会いが留学へ。
留学での経験が、その後の仕事や人生へ。
人との縁が、新しい扉を開いてくれる。
それは今も変わらず、私の人生を支えてくれている大切な財産です。







第 3 章『自分を変えた挑戦』
留学から帰国した私は、英語を使う仕事として家電量販店で働くようになりました。海外からのお客様への接客や、ホームシアター・オーディオ機器の提案など、好きなものに囲まれた仕事は楽しく、充実した日々でした。
けれど、その頃の私は慢性的な腰痛にも悩まされていました。
重い商品を扱うことも多く、ひどい時には起き上がることさえ辛いこともありました。
そんな時に通っていた整体院で出会った先生が、私にとって大きな転機になりました。
担当してくれていた先生は、偶然にも私と同い年で、同じ浦和出身でした。
施術を受けながら話をする中で「こういう仕事もあるんだな」と思うようになりました。
痛みや不調を抱えて来た人が、帰る頃には少し表情が明るくなっている。
その姿を見ているうちに、整体という仕事への興味が少しずつ大きくなっていきました。
もちろん、すぐに転職を決めたわけではありません。
七年間勤めた職場を離れることには不安もありました。
けれど、これまでの人生で何度もそうだったように、私の中の「ワクワクする方向へ進んでみたい」という気持ちが少しずつ大きくなっていったのです。
そして私は、整体や運動医療を学ぶために学校へ通い始めました。
在学中からスポーツジムでも働き、運動指導を行うようになります。
そこで私は、自分自身でも驚くような経験をすることになります。
子どもの頃から運動が苦手だった私が、人に運動を教える立場になったのです。
小学校時代、体育の授業が嫌いだった私からすると想像もできないことでした。
最初から自信があったわけではありません。
それでも、一人ひとりのお客様と向き合いながら経験を積むうちに「できない」と思い込んでいたことも、少しずつできるようになることを実感していきました。
さらに私は、人前に立つことへの苦手意識にも挑戦することになります。
スポーツジムでは、マイクを付けて大勢の前でレッスンを担当する機会がありました。
研修や試験を受け、週に一度レッスンを担当するようになりましたが、最初は緊張の連続でした。
学生時代、人前で話すことが得意だったわけではありません。
むしろ、人の目を気にしてしまうことの方が多かったと思います。
それでも経験を重ねる中で、人前で話すことへの苦手意識は少しずつ小さくなっていきました。
*
もう一つ忘れられない出来事があります。
それは、三十代半ばで逆上がりができるようになったことです。
子どもの頃には何度挑戦してもできなかった逆上がり。ずっと「自分にはできないもの」だと思っていました。ところが、スポーツジムで働きながら身体を鍛え、動き方を学んでいく中で、ある日自然とできるようになっていたのです。
傍から見れば小さな出来事かもしれません。
けれど私にとっては、大きな意味がありました。
できないと思い込んでいたことでも、時間をかけて取り組めば変わることがある。
人は何歳からでも成長できる。
そんなことを、自分自身の身体を通して実感できた瞬間でした。振り返ると、この時期は技術を学んだだけではなく、自分自身の思い込みを一つひとつ外していった時期だったように思います。
運動が苦手だった自分。
人前に立つことが苦手だった自分。
できないと思い込んでいた自分。
その壁を少しずつ乗り越えていく中で「人は変われる」という確信が生まれました。
そしてその経験は、今でも施術をする上で大切な土台になっています。
身体の不調を抱えている方も、思うように良くならない方も、決して今の状態がすべてではありません。
私自身が変化を経験してきたからこそ、その可能性を信じているのです。




第 4 章『独立と挫折』
整骨院で働きながら経験を積み、柔道整復師、はり師、きゅう師の資格を取得した私は、多くの患者様と向き合う日々を送っていました。
スポーツによるケガ。
試合を控えたアスリート。
日常生活の中で痛みや不調を抱える方々。
それぞれの方に大切な目標や想いがあり、その先にある人生を支える仕事に、大きなやりがいを感じていました。
そして十一年間の経験を積んだ後、私は地元さいたま市で独立開業することを決意します。
自分の院を持つこと。
それは長年の目標でもありました。
これまで学んできたこと、経験してきたことを形にし、自分の考える施術を届けていきたい。
そんな想いを胸に、新たなスタートを切りました。
もちろん不安もありました。
けれどその一方で
「十一年間の経験がある」
「国家資格も取得した」
「それなりに結果も出してきた」
という自負もありました。
だから正直に言えば、
「自分ならやっていけるだろう」
という気持ちもあったと思います。
しかし、現実は思っていたほど簡単ではありませんでした。
開業すれば自然と人が来てくれるわけではありません。
技術があればうまくいくわけでもありません。
院を運営することは、施術だけではなく、経営や集客、人とのつながりなど、多くのことを考えなければならない世界でした。
さらに開業直後には、新型コロナウイルスの流行が始まりました。
緊急事態宣言や外出自粛によって、人と会うことそのものが難しくなった時代です。
院で一人過ごす時間も増え、将来への不安を感じることも少なくありませんでした。
そんな中でも、高校時代の同級生や先輩、恩師、友人たちが足を運んでくれました。
人とのつながりに支えられていることを、改めて実感した時期でもありました。
*
何より、私にとって大きな出来事、それは自分の未熟さと向き合うことになったことです。
整骨院で数多く経験してきたケガへの対応と、慢性的な痛みや不調への対応は、同じようでいてまったく違いました。
思うように結果を出せないこともありました。
自信を持って施術したのに、期待した変化につながらないこともありました。
患者様の力になりたいと思うほど、自分の知識や技術、人としての未熟さを痛感する場面が増えていったのです。
私はそこで初めて、本当の意味で自分の限界を知りました。
資格があること。
経験があること。
それだけでは、人を良くすることはできない。
人の身体は、もっと複雑で奥深いものでした。
そして痛みの背景には、生活習慣や不安、ストレス、人それぞれの人生があります。
そのことを理解しようとせず、技術だけで何とかしようとしていた自分もいたのだと思います。
だから私は、もう一度学び直すことを決めました。
プライドよりも成長を選ぶこと。
知らないことを認めること。
できないことを受け入れること。
独立とコロナ禍は、自信を失った時期でもありました。
けれど振り返ると、施術者として本当に大切なことを学び始めた時期でもあったように思います。





第 5 章『私が目指している整体』
ここまで、私の人生についてお話ししてきました。
運動が苦手で、怖がりだった子ども時代。
映画や英語との出会いによって広がった世界。
スポーツジムや整体との出会いを通じて、自分自身の可能性を少しずつ広げてきたこと。
そして独立後、思うようにいかない現実と向き合いながら、もう一度学び直してきたこと。
振り返ってみると、一見関係のない出来事のようでいて、すべてが今の仕事につながっているように感じます。
私はこれまで、多くの方の身体を見させていただきました。
その中で強く感じるようになったことがあります。
それは、痛みだけを見ても、その人のことはわからないということです。
肩が痛い。
腰が痛い。
膝が痛い。
もちろん、その痛みを改善することは大切です。
けれど、その痛みの背景には、その人の生活があります。
仕事のこと。
家族のこと。
将来への不安。
頑張りすぎてしまう性格。
休むことへの罪悪感。
身体だけでは説明できないものが、そこにはたくさんあります。
だから私は、痛みだけを追いかける施術者にはなりたくありません。
その方がどんな毎日を過ごしているのか。
何に困り、何に悩み、何を大切にしているのか。
そういったことにも耳を傾けながら、一緒に身体と向き合っていきたいと思っています。
それは、自分自身が悩みや不安、劣等感を抱えながら生きてきたからかもしれません。
運動が苦手だったこと。
学校に行けなくなった時期があったこと。
人の目を気にしてしまったこと。
思うようにいかず、自信を失ったこと。
そんな経験があるからこそ
「早く元気になってください」
「頑張ってください」
と簡単には言えません。
人にはそれぞれのペースがあります。
変わるためのタイミングもあります。
だからこそ、焦らせるのではなく、その方の歩幅に合わせて寄り添うことを大切にしたいと思っています。
私が目指しているのは、身体を整える場所であると同時に、少し気持ちも軽くなれる場所です。
施術を受けた帰り道に
「少し楽になったな」
「もう少し頑張れそうだな」
そう感じてもらえたら、とても嬉しく思います。
*
2026年、ホームページのリニューアルを考える中、自分自身を表す言葉として浮かんできたのが
『大樹』
という存在でした。
大樹は、自分から何かを主張するわけではありません。
ただそこにあり、必要な時には木陰をつくり、疲れた人がひと休みできる場所になります。
私もそんな存在でありたいと思っています。
必要な時には寄りかかれる。
不安な時には少し休める。
そして元気になったら、また自分の力で前へ進んでいける。
そんな時間と場所を提供できる整体師でありたいのです。
私は特別な人間ではありません。
むしろ、できないことや苦手なことがたくさんありました。
だからこそ、今つらさや不安を抱えている方の気持ちを置き去りにしたくありません。
もし今、身体の痛みや不調で悩んでいるなら。
もしどこへ行けばいいのかわからず、一人で抱え込んでいるなら。
どうか一人で頑張りすぎないでください。
あなたのペースで大丈夫です。
そのための場所として、まさ・けし治療院がありたいと思っています。


エピローグ
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
振り返ってみると、私の人生は決して順風満帆なものではありませんでした。
運動が苦手で、自信が持てなかった子ども時代。
学校に行けなくなった時期。
思うようにいかない仕事や人間関係。
独立後に感じた自分の未熟さ。
今でも「もっとこうできたのではないか」と思うことはたくさんあります。
けれど、その一つひとつの経験があったからこそ、今の自分があるのだとも感じています。
私はこれまで、多くの人に助けられてきました。
家族。
先生。
友人。
先輩。
仲間。
そして患者様。
一人でここまで来たわけではありません。
だからこそ、今度は自分が誰かの力になれる存在でありたいと思っています。
身体に痛みがあるとき。
不安があるとき。
思うように前へ進めないとき。
そんな時に「ちょっと相談してみようかな」と思い出していただける場所でありたい。
それが私の願いです。
人生は、思い通りにならないこともたくさんあります。
私自身、何度も遠回りをしてきました。
それでも、その時々で出会った人たちに支えられながら、少しずつ前へ進んでくることができました。
だから私は、人が変わる力を信じています。
身体も、人の心も、少しずつ変わっていける。
焦らなくてもいい。
自分のペースでいい。
そんなふうに思っています。
もしご縁がありましたら、まさ・けし治療院でお会いしましょう。
あなたのお話を聞かせてください。
そして、あなたが少しでも心地よく毎日を過ごせるよう、お手伝いができれば嬉しく思います。